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絵を描く

手が勝手に動く感覚 実際に絵を描いている時、特に筆がノッてる時、意識している内容は意外と単純なように感じている。表現したい抽象的なイメージがある、題材に使いたい物がある、その程度だ。実際には使う色や画材はもちろん、構図や一本一本の線に至るまで考察する所は沢山あるのだが、筆がノる時というのはそんなことは考えてない。自然と頭の中で勝手に選択されていき、紙に向かえば構図が浮かび上がり、それをなぞる手段も勝手に想像できる。 例え話:野球の投手 プロの投手は本番の投球時、リリース点からキャッチャーミットまでのレーンをイメージし、それをなぞる様に投げると、その通りの軌道を描けるらしい。勿論これは素人が真似してすぐ出来るものではない。投球フォームは複雑な身体の使い方をする。今までの試行錯誤と実際に投げてきた経験、つまりリソースがあるからこそ出来る技だ。 リソースが大事? よく言われるイメージが大事というのも勿論だが、それを形にできるだけのリソースが必要なのだ。そのリソースというのは普段の積み重ねである。普段の積み重ねというとつまらない作業を連想するかもしれない。 勿論そういう作業もあるかもしれないけど、これは実際に絵を描く人なら共感してくれるように思うのだけど、表現したものを描いてる時は作業量は気にならない。むしろ手をかける事に喜びを感じるくらいだと思う。(これで無限に時間を溶かしてしまうのだけど...) その楽しくて仕方ない時間をどれだけ積み重ねられるかだと思う。絵描きにとって表現した物というのは、日常に無限に溢れていると思う。それを貪欲に片っ端から描いてみる事、それを表現できるようになるまで色んな角度で情報を集めたりする事、普段の積み重ねとはつまりそういうものだと思う。(無限に時間を溶かせ)